家は記憶でもある
〜大黒柱に思い出を刻む〜
家は、家族の絆をつくり、記憶として残る。
背比べをした 柱のキズや 古時計や。
おばあちゃんが坐っていた 木の椅子だとか、
そんなことが、家族の歴史をつくる。
ボディ&リフィルの家は、
さっぱりしていいけど、
家族の記憶を失いたくない。
カタチになるものを見つけよう。
幼い頃の記憶と、これからつくられる記憶
女性詩人の石垣りんさんに、こんな詩があります。
「家は古い 死んだ母親が住んでいる。どの新しいと呼ばれる家庭にも 母親がひとり。働き者で 料理好きで掃除好きで 洗濯好きで(中略)うっかりしているとみんな片付けられて その辺りがせいせいしている」。詩の題名は「母の顔」。母の存在を愛惜であると同時に、酷薄であることを、この詩人は見逃しませんでした。
人の記憶を削いでしまうのが現代の家です。Hシリーズは、改造が容易で、「かしこい家の建て方」ですが、家は、その家族にとって記憶装置でもあります。この家の合理性は、利点であると同時に難点です。自然のある生活、季節の旬のある生活を大切にしながら、意識的に、モノやカタチを通じて、家族の記憶を遺すようにすると、家族の歴史が繋がって行きます。